少子化と地域主権

1、少子化の現状

嵐山町の出生数は、コロナ禍によって一層少なくなりました。

2023年4月1日、嵐山町人口より/

赤ちゃんを産む世代の女性が嵐山町には少ないこともあって、上記のように出生数は少なくなります。この世代の方は、仕事が充実する時期にもあるので、職住接近を求められます。現在でも政策として、職住接近の実現のため、工業団地の拡張などの政策を行っています。コロナ禍で自宅勤務による業務もできる環境はでき始めているのですが、若い世代は、減少しています。

課題は、子育てにお金がかかりすぎること、②子育てを女性一人が行なっているにも関わらず、当たり前のこととされ、公的な支援が制度化されていないことです。

2、財政の課題

町の政策は、金を稼ぐことに重点を置いていました。一千年の苑ラベンダー園で観光事業で金を稼ぐこと、花見台工業団地の拡張、新しい川島地区工業団地の導入などを進めていること、駅西側のロータリー工事などの重点制作に人と予算を使いました。生活面での予算が縮小しています。

若い世代が嵐山町の故郷のイメージとして象徴的な学校、学校施設への予算配分が小さかったのです。

学校施設の耐震は行ったのですが、学校をきれいに維持すること、学校の老朽化への対応をしなかったこと、トイレの様式化が遅れていることなど、加えて、学校の天井から雨漏りがするなどがあり、学校の改築を求める声が大きくなりました。

適正な学校管理を怠り、学校統合で、不適切な学校管理に終止符を打ち、学校再編に大きく舵取りをしていたと考えられます。

今、思えば、学校を新築する政策は、元町長の頭の片隅にはあったのだと思いますが、小学校3校。中学校2校を一つにする話はありませんでした。中学校2校を統合する話は、部活動を続けるためには必要という保護者の考え方でもあり、説明を聞くと十分にうなづけます。

しかし、小学校・中学校を一つにする考え方はありませんでした。/

国学校統合による建築費の補助金の政策誘導があると感じます。

子ども数が従来より増えると、国の補助金は建築費の2分の1となります。子ども数が増えない場合、一定の改築工事で文部科学省の基準に合う長寿命化計画の場合、国の補助金は3分の1です。

建築費が新築の場合50億円とすると、25億円が補助金で後の25億円は債務(ローン)になります。長寿命化改修の場合、たいてい新築の60%として計算するということです。その場合、50億円の60%は30 億円です。その3分の1ですから10億円、初期費用がない場合は20億円のローンを抱えることになります。/

財政を考える場合、25億円のローンと20億円のローンでは、ちょっと高額になっても新築の方がいいという考えになります。しかし、考え方の視点を変えてみます。

3、地政学的な判断から

嵐山町は、南北に細長い町です。嵐山町の地域的な特徴を考えると、嵐山町の中心部、駅周囲に現小学校3校、中学校2校を一つの小学校、一つの中学校に統合するには、地政学的に困難があると思ます。統合する地区の子どもをすべて通学バスで送迎することはできません。

学校統合による北部地区の過疎化は、深刻になることが想像できます。現在でも、他の市町村と同様に人口減少は進んでいます。南部地区では、鎌方小学校が菅谷小学校に統合される以前から子ども数が減少しています。

学校の近くで子どもを育てる・・・学校が遠く、バス通学になると、現代の子どもの多忙な時間管理がさらに管理され、時間のロスは大きく、保護者の送迎が多くなります。子ども時代、地域で遊び毎日歩いて通学した場所の思い出は、その人のふるさと感覚をつよくします。ノスタルジアではなく、子どものふるさと感、アイデンティティを形成する力になります。地域で子どもを育てる文化も消滅していきます。

4、少子化の課題

日本の少子化は、海外の先進国と比べても深刻です。女性の発言が著しく狭められ、行動する気力を奪います。

深刻な理由は

(1)年齢別人口配分が歪んでいること

(2)地域的な人口分布が歪み、都市に人口が集中していること

高齢化率が高いので、ケアの必要な高齢者の生活を生産年齢世代の人がケアできないこと。

地域的な人口分布が都市中心になっているため、過疎化が進み、地域の自然保全・これから頻繁に起きる気候変動による災害に対応できないこと、が、すぐすぐに見えてくる課題です。

30年経過すると人口縮小が一層進み、極端な逆ピラミッドの人口構成が解消される可能性はあります。世代の歪みがなくなったとしても地域的な人口分布が都市中心になってしまっているので、過疎化は進み、人間生活に必要な自然保全が崩れてしまうこと、野生生物が過疎化した地域の主人公の一部になり、従来の人間を中心とした里山文化圏も崩れていくこと・・・都市の崩壊は過疎化した里山文化圏の崩壊からスタートすると考えられます。

少子化対策として、学校を嵐山町の中心部に一つに統合する政策は、30年後に、どのような生活が行われるだろうかというディスカッションが必要です。

人は胎児から赤ちゃんとして生まれ、親に愛され、保護されて保護されてスタートして大人になっていきます。赤ちゃんの時代から人間の文化を学ぶ時期、同じ世代と一緒に学ぶ空間があることは楽しく、子どもの学びの方法として重要です。

子どもの歩ける行動範囲の中で学び生活できることが、里山文化圏を壊さないで生活できる単位であると考えます。少子化への対応策として、ある程度同じ世代の子どもをすべて中央に集めて学習させるのは、効率的学習という意味では、人件費も少なく、国の予算としてロスが少ないというメリットはあります。競争社会の中を生き抜く上で、一定以上の数で競い合う習慣を身につけるという点では、大人にとっても今までと同様に競争社会を生き抜く力をつけされることができ安心ということもあると考えます。

が、身体が自由になるにとともに親から少しずつ自立していく発達の順番、人との関わり方の学びは

親密なケアをしてくれる人→身近な家族→年齢の近いともだち→親以外の大人→地域の人

と変化する中で子どもの人との関わる力が育っていきます。

地域概念が、子どもの学びの初期から、町全体になることには疑問を持ちます。

保育園、幼稚園時代と異なり、6歳以降は一人で歩いて探索する年代です。

もっと、地域で協議して学校のあり方を政策として考える必要があります。

5、地域のことは地域で決める。

 学校再編にはメリットとデメリットがあります。嵐山町の中心地に住む人は13000人。小学生中学生とその保護者にとっては子ども数が多くなり、学校が新築される・・・・大きなメリットです。

学校がすべて廃校になる地域では、地域文化の一つの象徴であった学校がなくなります。学校が遠くなり、バス通学になるといいます。バスで直接学校に運ばれます。地域を歩いて学校に行く・・・さまざまな発見がありますが、それはなくなります。

このメリットとデメリットを十分に協議して、学校をなくすことは、地域が決定すべきです。人口の多い地域が決めることではないと考えます。

少子化で財政が厳しいから町が決定するということではなく、どのような学びの場を作るかを地域で協議して決定していく・・・・学校が地域からなくなる・・・新しい歴史の転換です。

廃校は町長のトップダウンで決めることでなく、学校がなくなる地域の皆さんが、学校がなくなることと、子ども数が少なくても学校が地域に存在すること、そのためにどのようなことを地域で行なっていくか話し合うこと、学校が統合され、人数の多いクラスで学習する方が子どもたちにとって良いという結論に達した時、学校統合していくべきだと考えます。

地域のことは地域で決める・・・少数派を排除することなく、誰にも寄り添いながら、地域経営をしていくことが、30年後の時代にも、地域が生き延びる手法だと考えるのです。