戦争を知る人



戦争を知る人


昨年の夏、母の代わりに実家の仏壇の掃除をしていた。
仏壇の引き出しの一番下に小さな黒い古い手帳があった。
母のお兄さんの学徒動員時の日記だった。
細かい字でていねいに書かれている。
彼は、7月24日に戦死していた。
母が、脳梗塞で介護度5になる前、祖母が死亡する前に、もっと聞いておくべきだった。
軍港 呉で、戦艦霧島に乗っていてドラム缶のなかで指揮をとっていたどき、機銃掃射され、亡くなったときく。
遺骨は、小指一本分を 戦友の人が持ちかえってくれたと聞いている。
手帳は遺骨と一緒に手渡されたのだろう。
私は子ども時代、広島県三原市に住み、夏休みになると東京に母と出かけ、祖父母と暮らした・
よく、靖国神社に連れて行かれたものだ。
祖母は、聖徳太子と天皇に手を引かれたYちゃんが出てくる夢をみるとよく話した。
天皇はわかるが、聖徳太子はなぜだろうと不思議だった。


選挙で、町の中を歩いていると、戦争を知る人も元気に生活していらっしゃる方もいる。
多くは、戦争当時、こどもだった人、青春時代を過ごした人だ。
私のおじの手帳の画像をHPに掲載したい。
どのような日常を過ごしていたかが、わかる薄い手帳だ。

先日、手帳の正当な管理者である兄に手帳を返した。

そして、祖父の書いた自費出版の本が送られてきた。

それを読むと、母の家族は、死亡通知を受け、呉に出かけ、遺骨があったこと、その遺骨を持ち帰ったこと、私が小指の骨だけ戻ってきたというのは子どもの時の勘違いで、当時の日記に小指が痛いということが書いてあったこと、そのことが法事等で話題になり、私が勘違いしていたことがわかった。庶民の悲しみは、祖父の手記に書かれている。

おじの日記

Aさんのお話