次へ 前へ トップへ 

4、嵐山町ボートピア誘致とは

ボートピア

 ボートピアとは、競艇の様子を競艇場から遠く離れた場所に建設された施設の大きなスクリーンに競艇の様子を映し出して、どのモーターボートが1着になるかギャンブルを行う場外舟券売り場のことです。

 1997年6月匿名の電話で、嵐山町吉田地区にボートピアが誘致されるという知らせがありました。吉田地区は、農業振興地域であるため、ボートピア誘致には、土地利用計画を変更する必要があり、町長の同意が必要です。PTAの友人達が、誘致に反対をする署名を集め、1ヶ月後、町長に誘致に反対することを求める要望書を提出しました。

 町長は、ボートピア誘致には同意しないと要望書の提出者と新聞記者に応えました。これで、嵐山町ボートピア誘致は終了したはずでした。



議会へのボートピア誘致陳情

 8月中旬になって、今度は、議会にボートピア誘致の陳情をだすための署名を集めているとい匿名電話です。地元の人に聞くと、本当にボートピア誘致の陳情の署名を集めているということです。町長が、誘致に同意しない声明をだしているのに、無理な動きがあります。

議会の賛成で町長の反対を覆そうという動きです。

 嵐山町議会に提出された陳情請願は、委員会に附託され、委員会が審査し、その結果を議員全員で判断する手続きで審査されます。通常、保守系の議員は、委員会の採択に賛成します。ボートピア誘致が附託される産業建設委員会の定数は6名です。委員長は、採決に加わらないので、5名の議員の多数決によって決定されます。3名の議員を賛成させれば、ボートピア誘致は可能になるのです。
3名の議員に利権を求めるものが、賛成にまわるよう働きかけることは、そんなにむずかしいことではありません。

 8月30日になって、ボートピア誘致に反対する陳情を住民から提出してもらうことにしました。9月1日、ボートピア誘致に反対する陳情を提出しました。やはり、8月28日に、ボートピア誘致の陳情は、松本ミコ議員ガ紹介議員となって提出されていました。

襲撃

 9月8日夜、議会開会の前夜、私は、家を訪ねてきた二人組みの男に金属棒で左手足を金属棒で、めったうちされました。ボートピア誘致に反対する陳情を提出したことによる襲撃だととっさに判断しました。

 病院に入院し、次の日、警察官から聞かされたことに驚きました。
8月29日、4年前の住所地に住んでいる女性が、私と同様に二人組みの男に襲撃されたこと、彼女は、左足の踵が砕けて重傷であること、誤認襲撃らしいというのです。

 誤認襲撃という犠牲がなく、8月29日に私が襲撃されていたら、私はボートピア誘致に反対する陳情を議会に提出できなかったことに気づきました。誘致の陳情を提出できないように8月29日旧住所の女性を襲撃し、それが誤認襲撃であったことがわかり、もう1度、議会前夜に襲撃し目的達成しようとするとは、執拗です。



ボートピア誘致陳情審査

 9月議会は、最後の3日間だけ、病院から、車イスで出席しました。11月になって、議会産業建設委員会のボートピア誘致の陳情、反対の陳情の審査がはじまりました。
それと前後して、誤認襲撃の理由が、警察官からの事情聴取でわかりました。議員名簿の住所記載間違いです。4月から9月まで、議員名簿の住所が旧住所になっていたのです。
4月に川口宏議員が転居した際、議員名簿の住所変更をしました。そのときのパソコンの入力ミスで、私の住所が旧住所になってしまったのです。私も警察官から指摘されるまで、住所記載間違いに気づきませんでした。

 嵐山町は、すぐに誤認襲撃された住民のところに謝罪にいかなくてはいけないはずです。何度か町長、議長にお見舞にいってほしいことを話しました。でも、町長も議長もお見舞にもいきませんでした。警察からその話は聞いていない、本当に誤認襲撃されたのかどうかもわからないという理由です。

 11月ボートピア誘致の委員会審査がはじまりました。住民、ボートピア業者、新聞記者が傍聴しました。
11月20日第2回目の委員会は、傍聴した住民の話より、委員長を除いて反対しているのは、当時の議長千野良之さんと、元議長の三村泰明さんの2名。賛成は、新人の秋葉臣穂さん、新人の吉野桂司さん、6期の新井国太郎さんらしいとわかりました。これでは、ボートピア誘致に賛成してしまう状況です。

 どうしたものか、ボートピア推進本部に問い合わせると、ボートピア推進本部は、嵐山町のボートピア誘致の話は、一切知らされていない話しだといいます。正規の手続きでは、ボートピア誘致は、ボートピア推進本部による承認が必要です。ボートピア推進本部が知らない嵐山町ボートピア誘致は、おかしな話しです。

 11月25日、陳情審査を決定しました。ボートピア誘致の陳情の採択は、3対2で否決になりました。ボートピア誘致に反対を求める陳情は5対0で採択になりました。

 12月4日から定例議会です。その日から、右翼の街宣車が7台、「関根昭二は、町長をやめろ」と嵐山町中を大きな音量で街宣していました。12月10日議会最終日、午前10時、傍聴席には地元暴力団組員ずらりと私の一般質問を傍聴していました。
午後3時から、ボートピア誘致の陳情、誘致に同意をしないことを求める陳情の委員会の審査結果報告とその採択でした。このとき右翼の街宣車はボリュームを最大にあげていました。

 ボートピア誘致の陳情は、否決されました。

 その日夜中、嵐山町長宅は、地元暴力団清水組長の運転手によって、門や玄関を壊されました。



地元暴力団組長運転手・元組員・組長逮捕

 町長を脅迫したという理由で、地元暴力団組長に逮捕状が出されました。地元暴力団組長の運転手が町長宅を襲撃したとして、自首してきました。1月、地元暴力団組長が逮捕され、3月、私と誤認襲撃の実行犯が逮捕されました。実行犯は、6年と3年の懲役、地元暴力団組長は3年の懲役、地元暴力団組長運転手は1年2ヶ月の懲役です。

 この事件について詳細は、「世界・1999年3月号・なぜ、犯罪被害者に公的補償が必要か」に書きました。

次へ 前へ トップへ