ご挨拶

嵐山町の議員暦30 年。
決して、馴れ合い政治は行わない。
議員としての専門性と市民感覚を研ぎ澄ましたい。
嵐山町から、住み続けることができる日本をこどもたちに伝えていくこと
そのための政策をつくることに尽くしたい、
みなさん、どうぞ、一緒に走ってください。
もちろん、ゆっくり休息の時間も
         

         

 

自己紹介


1951年広島県三原市生まれ
6歳の写真です。
後ろの野山を駆け回わる。。
洞のある大きな木を拠点にしてピーターパンごっこ、ターザンごっこ。
ささやぶの中に道をつくる・落とし穴。
学校に行く途中に川がありました。
橋を渡らず、川の飛び石を渡る寄り道が好き。
学校の帰り道、川で魚とり。


50年前の自然と自由を今の子どもに渡せないのが申し訳ない。

自然と遊ぶことに夢中だったのですが、
子どもの頃、バイオリン、日本舞踊、茶道のお稽古はしていました。
今になってやっていてよかったと母と父に感謝。


中学・高校は三原市糸崎町に転居。
みかん畑のある丘から、自転車通学。
毎日、学校から帰る途中で、後ろを振り返ると瀬戸内海の夕焼け。
年配の女性が、リヤカーを引いて、魚を売りにきていました。

1969年立教大学法学部入学
高畠通敏さんと栗原彬さんの研究室に出入りし
草の根運動の活動・政治社会学を学んでいました。
市民政治を実践中です。
マジック研究会にも所属。
モダンバレーにも熱中。
石井かほるさんに師事
週3回のレッスン。鈍でリズム感がないのがわかっても好きでした。



大学時代にボランティアをしていた蕨市家庭児童相談室で相談員。
当時は障害児の全員就学はみとめられず、障害児の訪問教師に就きました。
次の年、担当したこどもが全員就学しました。

言葉の遅い子の家族のグループ作りのボランティアをしました。
地域の拠点に見つけた、ライブハウス「ゆうな」のマスターと結婚
学童保育の指導員、今はない「わかば生協」の理事をしていました。
夫とこども3人の生活のために、東松山市に転居。
ザリガニ取りができる場所をさがしました・



1989年嵐山町に転居しました。
転居した地区は、ゴルフ場開発のための同意のいる場所でした。
ちょっと待ってということで、嵐山町議員に立候補・
立候補したら、無投票当選。
以来、20年嵐山町議員として活動。


ゴルフ場開発はバブルでおしまい。
ボートピア誘致に反対して地元暴力団の襲撃。
犯罪被害者の権利が無いことに気付き、権利確立の運動。
市町村合併の問題
難しいとおもうのは、議員には古いセンスが多いということ。
時代になじまないとおもうことが多い。
時間がかかってもかえていくしかない。


今は子ども3人は自立。夫と2人の生活。
2007年6月末・初孫誕生。
現代の子育ち・子育ての難しさを知る。


2010年7月、2人目も孫誕生


2011年3月11日・東日本大震災・福島原発事故

今の私の課題は、子どもたちの未来にできるだけのことをすること
国の財政悪化に対応する政策に左右されずに、町の政策をつくり、
福島原発後を乗り越えていくこと。

2015年10月無投票当選で7期目を迎えました。

2017年6月 
3人目の孫誕生

2017年3月
社会福祉士の資格取得

2018年9月
4人目の孫誕生

(2019年9月)
8期目の当選をしました。

(2019年10月26日、孫勢ぞろい)